チタキヨのヨ

妙齢女だらけ演劇ユニット「チタキヨ」の作・演出担当、米内山陽子のあれこれ

2023を振り返る

2024年になりましたので

2023年をちょっとだけ振り返り。

 

1月

『メゾン』(作・演出)の新キャスト第1回目の公演in愛知。

これからも長く続く作品であってほしい。

愛知から帰京した翌日、父が亡くなる。

これについては未だに整理がつかず。

ミニアニメ『うまゆる』(シリーズ構成)配信中。

 

2月

父の葬儀。

鵺的の稽古始まる。

稽古の合間にレギュラーの仕事を3本。

 

3月

鵺的『デラシネ』(出演)本番。

とにかく一生懸命だった。

チタキヨ皆で出演できたのも良かった。

NHKEテレ『姫とボクはわからないっ』(脚本)#1放送。

アニメ『しゅわわん!』(シリーズ構成)#1~3放送。

父納骨。

 

4月

アニメ『スキップとローファー』(脚本)放送開始。

アニメ『魔法使いの嫁シーズン2』(脚本)放送開始。

1クールに2作もオンエアが重なるなんて嬉しい。

 

7月

アニメ『しゅわわん!』(シリーズ構成)#4〜6放送。

 

8月

NHKEテレ『姫とボクはわからないっ』(脚本)#2,3放送。

『メゾン』(作・演出)ワークインプログレス。

TBSラジオ「アシタノカレッジ」出演。

エビスstarバー「巡光」(脚本)上演。

ムーランルージュ』を観劇。最高だった。

 

9月

CoRich舞台芸術チャンネル『劇トクッ!』出演

チタキヨの稽古始まる

 

10月

アニメ『魔法使いの嫁シーズン2』(脚本)2クール目放送開始。

チタキヨ『マイン』(作・演出)上演。

 

11月

アニメ『しゅわわん!』(シリーズ構成)#7〜10放送。

『しゅわわん!展』inNHK熊本を観に熊本へ。

たんのしかった。

NHK-FM『眠れない貴女へ』出演。

 

12月

ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(手話指導)前後編放送。

メイキングもEテレにて放送された。

 

仕事以外も入れてしまった。

これ以外にも映画や舞台やドラマ・アニメは観てます。

本も読んでます。

記載のない月はひたすら仕事してました。

あんま休みがなかったな、2023。

合間でちゃんと遊びもした。お酒もたくさん飲んだ。

今年はできるだけ休みを確保したい。

やけ酒を減らしたい。

 

今年もよろしくお願いします。

マインありがとうございました

とってもとっても、お金の話をする物語になりました。

 

経済観念も、感覚も、安心する金額も、逼迫する金額も、人や環境によっても違って、その切実さはなかなか共有しがたいものです。

信じられないくらいの貧乏を経験して、経済的な安心も経験して、口座の残高ってこんなに心を動かすものなのだと実感しました。

それを描きたいと思いました。

あ、でもあくまでフィクションです。

 

ロストエイジと呼ばれて、そのまま四〇代も半ばになって、だけど社会はものすごい速度で変わっていって、振り切られないように必死です。

必死こきながら、信じられる誰かと手を繋ぎたい。

許し合いたい。許さない自分を許したい。許してしまう自分を許したい。

わたしたちは何をロストして(されて)しまったのかを見つめたい。

 

これからも、自分の心の動きを正直に書き続けたいと思います。

それが少しでも、誰かの明日を生きる言い訳になりますように。

おひさしぶりです

OH。2019年が終わってしまう。

もうちょっと軽い気持ちで書くべきだブログは。

 

ここを放置している間に、40歳に突入し、新しい仕事をたくさんしました。

アニメ(それに付帯する小説やラジオドラマ)、実写映画、2.5次元と呼ばれる舞台。

そしてチタキヨも40歳記念公演無事終了し、次に向かって動き出しています。

人生で一番慌ただしかったこの二年間が、わたしに与えてくれたものの多さに驚く。

2020年には、できるだけそれを誰かに返したいし、貪欲に学んでいこうとも思います。

40過ぎたら人生が始まったんじゃないかってくらい、ものすごい波のなかにいます。

今はこれを楽しもうと思う。

フラッシュバックする

公演が終わり、平成も終わった。

令和になってひと月を迎えようとしているいま、振り返ろうと思う。

チタキヨ40歳記念公演「フラッシュバック」の登場人物、森永小夏について。

 

登場人物は自分を投影させているのかと問われると、投影することもあるし、そうではないこともある、と答える。

1人の人間が書いている以上、わたしの中の何かは投影されているはずだ。

とはいえ、そんなことばかりしていたらずっと書いてはいられない。実体験を描くことや、自分の感情を昇華させるのが作家の仕事ではないと思っている。

では作家の仕事とは何か。

そこにいる登場人物を描くこと。登場人物たちのうねりが物語を進めること。

わたしにとっての作家の仕事はこれだ。

そうやって、ここ10年近く劇作家をしてきた。

ただ、今回は勝手が違った。

深く自己投影した登場人物がいた。

田中千佳子が演じた森永小夏だ。

俯瞰が強く、受動的で、しかし与えられたものはきちんとこなす。諦観していて、他人事で、だから傷つかないように身をかわす術が上手くなったひと。

この森永小夏の視点を俯瞰から主観に導くことが、今回最も苦労したところだ。

わたしが、今もそのような人間だからだ。

つまり、わたしがわたしを説得し得なければ、小夏はイエローバード には戻ってこない。

小夏は劇中でも傷つき、苛立ち、間違え、誰かを傷つけてしまい、しかし表面上はうまくやる。やれてしまう。柔らかな心を硬い金属の箱に閉じ込めて、平気なふりをし続けられてしまう。

真帆にも美月にも救えなかった小夏の手を引っ張ったのは、中岡だった。

舞台を降りて去ろうとする小夏と中岡のシーンが、まだ諦める前の小夏が、諦めてしまった中岡を説得しているように見えた日があった。

役と時間が逆転して、2人が同一人物の過去と未来になったように見えた。

その時、なぜ自分がこのシーンを書いたのかわかった気がして、全ての不安が吹き飛んだ。

福永マリカさんという才能と、田中千佳子という才能が、この時同じ場所にあってよかった。

本当にそう思った。

そしてライブシーンでお客さんたちが振ってくれた黄色いライトが有り難かった。

ほんの少しだけでも、小夏の胸に火を灯したかった。

それは大きな一歩でなくていい。

迷い震えながら小さくつま先を出すような、そういう一歩であればいい。

ラストシーンの松橋と小夏は、高校生を通り越して10歳のふたり、のようになった。

2人がお互いに芝居を預けあっていた。

そして静かに静かに、この物語は幕を閉じた。

客席で消えない黄色いライトが、小夏に小さな火が灯ったことを表しているようだった。

小夏が変わったからわからない。

けれど、小夏は変わりたいと思ってくれたんじゃないかと思う。

 

稽古を重ねていくにつれ、小夏はわたしではなくなった。

小夏は小夏になった。

ああ、羨ましいな。

小夏、わたしも変わりたいよ。

40歳おめでとう。

ここ最近のわたくし

今年に入って、脚本家と放送作家の事務所、株式会社PTA に所属いたしました。

​株式会社PTA(ピーティーエィ) | 脚本家、放送作家をマネジメントする会社です。

38歳新人というパンチが強い状態のわたしはもうとにかくがんばるしかないぜ。

パンチが強いとか言ったけど、本当はいくつになったって新しいことには飛び込んでいいし、始めたっていいと思っています。

新しいことは、嬉しい。

 

ブログを更新していないうちに、チタキヨ「わたしはミシン」が終わり、馬組「俺の女(たち)」が終わり、「鵺が、vol.2〜さえずる」が終わりました。

それぞれにふりかえりたいことがありますが、三作品通してわかったことは、揺らぎとか言語化できないことをなんとか舞台上に載せるのだということが、わたしのやりたいことなのだと、思っています。

これからまたいろーんなことを経て変わっていくのかもしれないけど。

 

スクラップ・アンド・ビルド・アンド・スクラップ

 

作って壊して作って壊しての日々。

恐ろしいぐらい筆が進まなくて毎日毎日落ち込んでる日々を過ごしています。

目をつぶると怖い。嫌なことばっかり考えてしまう。

だから寝しなにHuluでドラマとか映画観るじゃないですか。

わー楽しいなーって思って観てるんです。最初は。

でも途中ではたと気付くんです。

どの作品も、書き上げられた脚本を元に作られてるんです。

なにも書き上げられてない自分から見ると、どれも眩しく映ってしまうんです。

ノー〆切の状態で観ているときには「ふーん」くらいのものが、

目がつぶれるほど眩しい。

すごいでゲス。すんばらしいでゲス。ゲスススス。

っていう卑屈丸出し根性で観て、涙で枕を濡らす日々。

 

最終的には過去の自分すら全肯定しはじめます。

「どうやって書いてたっけ」という軽い気持ちで自分の過去作品を読んで、

どうやって書いてるかなんて全然わかんなくて、

ただただ書き上げたことだけがわかる。

すごいなーわたし、よく書き上げたなー、えらいぞー。

それに引き替え今のわたしは……。

良くないループに嵌まります。

 

なんで今回こんなに苦しいんだろう

と家人に漏らしたら

毎回そうなってるよ

と言われて

過去の自分がこれをも乗り越えたことに拍手して、

パソコンに向き合う。

 

がんばるしかないな。

がんばります。

ショーツありがとうございました

チタキヨ初の短編集「ショーツ」が終わりました。
ご来場いただいたみなさま、気にかけていただいたみなさま、ありがとうございました。

たった3回の公演。
もっと気楽にやるつもりでいましたが、結果なんかすげー髪振り乱してやる公演になりました。

個人的に、10年以上前に書いた「笛が鳴ったらたすけて」ができたことが
非常に感慨深かったです。
こんなに前の台本だともう他人の本みたいに見えたり
若気の至りがニヤニヤこっちを覗き込んでみたり
当時の自分の状況を鑑みたり
今の自分の状況を鑑みたり
わたしの向き合い方の振れ幅が大きな作品になりました。

これが上演されたのが2005年1月だったので、書いたのは2004年下旬。
わたしはまだ26で、独身で、子どももいませんでした。
結婚することが決まっていて、だけどそれに現実感もなくて、
トリコ劇場という劇団をやっていて、なにかに追われているような焦燥感を持っていて、
10代の頃に思い描いた26歳には到底なれていなかった。
いつも誰かに置いて行かれてしまう恐怖を持っていた事がよくわかります。
そして今もそんなことを書いているような気がする。
今回、チタキヨのメンバーがすげーがんばって20代になってこの作品をやってくれたことで、
当時のわたしが救われたような気がする。

「真昼のわたし」は一番新しく書いた一人芝居です。
今年の4月、沖縄在住の女優、桑江静香さんに書き下ろしたものを高橋恭子がやりました。
思い詰めて思い詰めて間違えて間違えてとんでもないところまで来てしまった時に、ふと我に返る人を描きたいと思いました。
溺れて掴んだ藁に首を絞められるような人。
途中なんだか滑稽で、なのに最後ただただ悲しくて、そして圧倒的に孤独。

「あの人だけの名前」は今までで一番上演されているんじゃないかと思われる一人芝居です。
この作品をやった女優さんを数えただけでも6人。
ご覧になった方はわかると思うのですが、演じる人によって色がものすごく変わる作品です。
中村貴子がこれを爆発的にやりました。
思い込みが激しくて自己評価が低くて努力家なグリちゃん。
「恋」というものの引力。

「ニュークリア」は2012年に「目で聴いた、あの夏」という企画のために書いた一人芝居です。
初演は耳の聞こえない女優さんが演じ、今回は田中千佳子がやりました。
わたしの両親、両祖父母は耳が聞こえない「ろう者」です。
母方の実家は広島で、わたしのまわりには耳の聞こえない人、被爆した人が普通に存在していました。
そして、自分が子どもを授かったときの、出産するときの、戸惑いと沸き上がるような喜び、血が繋がっていくこと。
孤独ではいられないこと。

そして「笛が鳴ったらたすけて」2016年版が現在のわたしの最新作です。
あの三姉妹の10年後を描くことで「ショーツ」という大きな一つの作品になったように思います。
あの子たちが、10年後に無傷じゃないけど無事に生きていたことがなんだか尊くて嬉しい。

先日SKIPシティDシネマ国際映画祭をご覧になって足を運んでくださったお客様も多数いらっしゃって、そして旗揚げからずっと観てくださっているお客様もいらっしゃって、なんだか幸せな気分で客席を眺めていました。

全てのお客様に、感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。

次は10月。
「わたしはミシン」でお会いしましょう。