チタキヨのヨ

妙齢女だらけ演劇ユニット「チタキヨ」の作・演出担当、米内山陽子のあれこれ

ショーツありがとうございました

チタキヨ初の短編集「ショーツ」が終わりました。
ご来場いただいたみなさま、気にかけていただいたみなさま、ありがとうございました。

たった3回の公演。
もっと気楽にやるつもりでいましたが、結果なんかすげー髪振り乱してやる公演になりました。

個人的に、10年以上前に書いた「笛が鳴ったらたすけて」ができたことが
非常に感慨深かったです。
こんなに前の台本だともう他人の本みたいに見えたり
若気の至りがニヤニヤこっちを覗き込んでみたり
当時の自分の状況を鑑みたり
今の自分の状況を鑑みたり
わたしの向き合い方の振れ幅が大きな作品になりました。

これが上演されたのが2005年1月だったので、書いたのは2004年下旬。
わたしはまだ26で、独身で、子どももいませんでした。
結婚することが決まっていて、だけどそれに現実感もなくて、
トリコ劇場という劇団をやっていて、なにかに追われているような焦燥感を持っていて、
10代の頃に思い描いた26歳には到底なれていなかった。
いつも誰かに置いて行かれてしまう恐怖を持っていた事がよくわかります。
そして今もそんなことを書いているような気がする。
今回、チタキヨのメンバーがすげーがんばって20代になってこの作品をやってくれたことで、
当時のわたしが救われたような気がする。

「真昼のわたし」は一番新しく書いた一人芝居です。
今年の4月、沖縄在住の女優、桑江静香さんに書き下ろしたものを高橋恭子がやりました。
思い詰めて思い詰めて間違えて間違えてとんでもないところまで来てしまった時に、ふと我に返る人を描きたいと思いました。
溺れて掴んだ藁に首を絞められるような人。
途中なんだか滑稽で、なのに最後ただただ悲しくて、そして圧倒的に孤独。

「あの人だけの名前」は今までで一番上演されているんじゃないかと思われる一人芝居です。
この作品をやった女優さんを数えただけでも6人。
ご覧になった方はわかると思うのですが、演じる人によって色がものすごく変わる作品です。
中村貴子がこれを爆発的にやりました。
思い込みが激しくて自己評価が低くて努力家なグリちゃん。
「恋」というものの引力。

「ニュークリア」は2012年に「目で聴いた、あの夏」という企画のために書いた一人芝居です。
初演は耳の聞こえない女優さんが演じ、今回は田中千佳子がやりました。
わたしの両親、両祖父母は耳が聞こえない「ろう者」です。
母方の実家は広島で、わたしのまわりには耳の聞こえない人、被爆した人が普通に存在していました。
そして、自分が子どもを授かったときの、出産するときの、戸惑いと沸き上がるような喜び、血が繋がっていくこと。
孤独ではいられないこと。

そして「笛が鳴ったらたすけて」2016年版が現在のわたしの最新作です。
あの三姉妹の10年後を描くことで「ショーツ」という大きな一つの作品になったように思います。
あの子たちが、10年後に無傷じゃないけど無事に生きていたことがなんだか尊くて嬉しい。

先日SKIPシティDシネマ国際映画祭をご覧になって足を運んでくださったお客様も多数いらっしゃって、そして旗揚げからずっと観てくださっているお客様もいらっしゃって、なんだか幸せな気分で客席を眺めていました。

全てのお客様に、感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。

次は10月。
「わたしはミシン」でお会いしましょう。