チタキヨのヨ

妙齢女だらけ演劇ユニット「チタキヨ」の作・演出担当、米内山陽子のあれこれ

「してあげる」と「したい」の違い(MBの一環)

MBとはマタニティブルーのことです。

なので以下は延々とどうでもいい長文です。

もう常々、昔から思っていることですが、

親密な男女の関係において出る「一緒にいてあげるね」という言葉は、気持ち悪い。

あと、落ち込んでる時の「俺が一緒にいるよ(だから大丈夫)」というのも気持ち悪い。

まず、「一緒にいてあげる」っていう言葉の、隠しようのない上から目線が不健全だと思いませんか。

その時点で、格差ができるというのは言い過ぎですか。

「一緒にいるよ」も、そばにいるから大丈夫になって当たり前だろ?という脅しに聞こえるのはわたしだけですか?

そばにいてもダメなときはどうすればいいんですか。そこは言わずに我慢ですか。そもそも落ち込んでるのに。

親密な男女の関係において最も健全なのは、

双方向の「わたしはあなたのそばにいたい」で、

これこそが、最上で唯一無二だと思いませんか?

なんで急にこんなこと言い出したかというと、なんでわざわざそういう言い方とか書き方するの!?っていうことがあったんですよ。

対象のことを考えているふりして、完全に自己顕示欲のみで発せられた言葉に出くわしてしまったからなんですよ。

まあ、こんなもんはテレビ観てれば、わかったようなことを「わたしを見て!」という感情の隠れ蓑にしてコメントするヤツが山ほど見れる訳ですが。

事件と社会問題をすぐ結びつけるようなヤツとかね。

それならもう「わたしを見て下さい!」と全面に追し出せばいいのに。そしたらさくっとスルーするのに。

たまに、本人無自覚で「わたしを見て」をやる人もいるので気をつけねばなりませんね。

気付かずに自分もやっているのかもしれませんね。

くわばらくわばら。

そうでなくても今、油断すれば自己中心の考え方になりそうです。わたし。

それを揺さぶらないでって思うのも、実はワガママだとはわかっているの。

何にも詳しいことが書けないのでもやもや日記です。

もやもやーん。

じめじめーん。

うつうつーん。

結論ないーん。

以上、本日のMBオワリ。