twitterになじみすぎると、140文字のリズムでしか喋れなくなってしまうような危機感を覚えつつ、でも便利だから
twitterやってます。
音楽を聴くメディアがCDからデータに移行したときのような感じ。
人はどんどん所有しなくなっていって、
人はどんどん刹那的になっていく。
さみしーなーっていいながら、便利なものに流されていく。
それはそれで悪くはないのです。
だけどやっぱり、寂しいという気持ちは捨てちゃいけませんね。
いつでもその場所に戻れるようにせねばだぜ。
といった気持ちで、ブログ書いてみたりしました。
寂しい、と思いながら、データで小説読む日もくるんだろうか
予測寂しい。